長崎の鐘
先週の長崎旅行の事を、忘れないうちにちょこちょこと書いていこうと思います。
長崎は初めてでした。で、行く前に何冊かの本で予習しておきました。すこしでも歴史を知っておくと旅行が面白くなりますね。
たとえばまあこんな本です。他にも、長崎文献社の「旅する長崎学」のシリーズはとてもよかったです。(http://www.e-bunken.com/shopbrand/014/O/)
一日目、長崎に着いて最初に行ったのは浦上天主堂です。長崎カトリックの本山であり、建物の規模でも信徒数でも日本有数の教会だそうです。
ロマネスク風の美しい煉瓦色の教会ですが、これは鉄筋コンクリートで再建されたもの。かつての赤煉瓦の建物は、数百メートルの至近距離に投下された原子爆弾によって破壊されました。
被爆した聖人像と、爆風で吹き飛ばされた鐘楼が保存されてました。教会にいた神父と信徒は全員亡くなられたそうです。
浦上は江戸時代には苛烈な禁教政策に耐え続けた隠れキリシタンの郷で、幕末になって日本に来たフランス人神父が再発見した信徒はこの地の農民たちでした。しかしその歴史的発見が、明治政府による最後の大弾圧を招く事にもなります。配流された彼らの一部は僕の住む大和郡山にも預けられたとかで、なんというか不思議な縁です。
日本でも最も深くキリスト教が根付いたこの場所が、同じキリスト教徒のアメリカの原子爆弾によって焼き尽くされたとは、なんという残酷な歴史か。
その後は、長崎歴史博物館と長崎県立美術館に行きました。
南蛮貿易、キリスト教、オランダ貿易、蘭学、中国文化、開国、さらに戦争と、長崎は常に日本の外との関係によって特異な歴史を歩んできた都市です。奈良や京都とはまるで別の世界。
そして夕食は名物トルコライス。どのへんがトルコなのか。
でもおいしい。生きているということ。
ソーメンと猫の寺
土曜の晩はお酒を飲んで夜更かししたので、日曜はどこか近場でのんびりしたところはないかなと考えたところ、車で30分ほどのところに長岳寺というお寺があるのでした。
こんな道を通って緑の多い高台へ。
猫がお出迎え。涼しい場所でぴくりとも動きません。境内で都合5,6匹の猫に出会いました。
このお寺では、17世紀に建てられた重要文化財の庫裏でおいしい素麺をいただくことができるのです。このあたりは三輪素麺の産地。麺もいいけど、薬味もおいしい。
境内は自然豊かで、中央に大きな池のある浄土式庭園は、整備されていなくて野趣があります。猫が多いことも含めて、浄瑠璃寺に似てる。
冬は温かいにゅうめんをいただけるそうです。こんなに近いならまた来よう。
ぐるりよーざ
夏の長崎旅行を計画しはじめてから、卓袱料理や皿うどんはもちろん、かくれキリシタンの文化にも興味が湧いています。
youtubeで興味深いものを発見。↑平戸市生月のかくれキリシタンの方々が歌う、3曲の歌おらしょ。順番に「らおだて」「なじょう」「ぐるりよざ」
キリシタン弾圧が始まってから今日まで400年間、口伝で伝えられてきたラテン語の聖歌です。ていうか、御詠歌?
6:30ごろから始まる「ぐるりよざ」の元歌を、ここにあるラテン語の歌詞から探してみると、下に貼り付けたやつっぽい。グレゴリオ聖歌「O GLORIOSA DOMINA」
歌詞:上がラテン語、下がかくれキリシタン版
O gloriosa domina excelsa super sidera
ぐるりよーざ どーみの いきせんさ すんでら しーでらqui te creavit provide lactasti sacro ubere
きてや きゃんべ ぐるーりで らだすて さあくら おーべり(こちらから引用)
死を賭した潜伏生活の中で、ラテン語の意味も分からないままでひそかに受け継がれてきた歌詞とメロディー。キリスト教徒ではない僕でも心を動かされずにはいられないわけですが。
そこにあるのは、キリスト教的なものというよりむしろ、村落共同体を通じて受け継がれ、今の僕たちの中にも息づいている、日本的な精神性の美しさ(と、おぞましさ)なのかもしれない、という気もします。