マレーシア旅行②マラッカの寺院と教会
マラッカ王国、ポルトガル、オランダ、イギリス、数年間の日本による占領、そしてマレーシア独立と複雑な歴史を経てきたマラッカには、それを反映して様々な宗教の寺院や教会が共存しており、それが街の魅力にもなっているので、いくつかご紹介します。
①セント・ポール教会
16世紀にポルトガルによって建立されたカトリック教会ですが、プロテスタントのオランダによって統治された時代に廃墟になり今日に至っています。
フランシスコ・ザビエル像。ザビエルは一時期この教会を布教の拠点にしていました。
地元のイスラム教徒の観光客も大勢来ています。
教会の中には多くの墓碑が立てられています。ちょっと不思議なことに墓碑銘の多くはオランダ語で、プロテスタントの墓だと思われます。
↑こちらはラテン語で、もちろん読めないのですが、SOCIETAS IESUとかIAPONENSISとか書いてあるのでイエズス会関係で日本にゆかりのある人のようです。キリシタン史に詳しい方、どなたか何かご存じないでしょうか。
②ザビエル教会
オランダ時代になってカトリックは弾圧されていたのですが、19世紀のイギリス時代になると宗教も自由になり、あらたなカトリック教会が建てられました。
ちょうど日曜のミサをやってました。信者さんはインド系の方が多いようでした。
教会の敷地にあったザビエル像と、日本人初のキリスト教徒、ヤジローの像。二人はマラッカで出会い、ヤジローの人となりに感銘を受けてザビエルは日本布教を決意したそうです。
③その他の教会
マラッカ・キリスト教会。オランダ時代の18世紀に建ったプロテスタント教会で、街のシンボル的な建物なのですが、この時は見学できず、周りのオランダ広場がすごい人出だったので退散しました。
タミル・メソジスト教会。インド系の人たちのためのプロテスタント教会のようです。
④カンプン・フル・モスク
18世紀にたてられたモスクです。東南アジア独特の東洋的な方形屋根のモスクで、灯台のようなミナレットが面白いです。屋根の頂点にある造形物はタマネギ型のドームや新月などではなく、どちらかというとバリ島のヒンドゥー教寺院を思わせるものです。
入口は楼門になっており、上層には丸太をくり抜いた木魚のようなドラムが置かれています。礼拝の時を告げるために用いられていたようですが、バリ島の村にも同様なものがあり興味深いです。
⑤カンプン・クリン・モスク
こちらも同様に東洋的な様式の18世紀のモスクです。
やはり、屋根の上にあるのは東洋的な宝冠のようなもので、バリ島のヒンドゥー寺院の物に似ています。
こちらのミナレットはどちらかというと中国の仏塔を思わせます。
内部はやや西洋風で、柱頭もギリシャ的。不思議な空間ですが、モスクの内部というのはなんとなく清々しいものです。
⑥スリ・ポヤタ・ヴィナヤガ・ムールティ寺院
こんな名前を覚えられるわけがないわけですが。
18世紀に建立された南インド系のヒンドゥ教寺院です。ちょうど儀式の時間に訪れたので、僧侶が金剛鈴のようなものを大音響で鳴らしながら、いくつもの神像に供物をささげる様子を見学させていただいたのですが、非常に厳粛な雰囲気だったので写真は遠慮して、見よう見まねで合掌していました。上には牛さんが載ってます。
⑦青雲亭(チャンフーテン)寺院
ごらんの通り、中国系の人たちが建てた寺院です。仏教寺院ということなのですが、祀られているのは道教の神様が多いように見えました。17世紀の建立ということですが、修復されて非常に状態が良いです。
上記の⑤⑥⑦の三つの寺院は、同じトゥカン・ウマス通りに数十メートル間隔で並んでいます。全く異質な宗教の寺院が17世紀以来ずっと共存してきたという、多様性と共存のお手本のような場所です。
⑧いろいろ
↑マレー人地区カンプン・モルテンにあるイスラム教の礼拝所。モスクではなくスラウということです。スラウの方がより簡易なもののようですが、その違いはよく分りません。
↑こういう小さな中国寺院はいたるところにあり、中国系の人たちの信仰を集めているようでした
↑これも興味深い例で、イスラム教徒の英雄の廟と中国寺院が並んで建っていました。
長くなってしまいましたが、このように多種多様な宗教施設にはマラッカの重層的な歴史と多様な文化が鮮やかに表れていて、大変興味深いものでした。