マレーシア旅行⑥ クアラルンプルの点景・光景
↑多言語社会
↑(2枚)都心と空港を結ぶ電車、KLIAtransit。ヨーロッパの鉄道みたいな車両。
↑(2枚)巨大なバスターミナル
↑バスターミナル内は禁煙。違反者は罰金30万円または2年間の投獄。
↑新国王夫妻
↑巨大な落葉
↑巨大なトカゲさん。しっぽを含まない体の部分だけで猫ぐらいの大きさ。
マレーシア旅行⑤クアラルンプルの美術館
①ナショナル・アート・ギャラリー
都心から少し離れたところにある国立のギャラリーです。私たちが行ったときには主にマレーシアの若手現代美術作家たちの作品が展示されていました。マレーシアの現代美術をまとまった数で見たのは初めてでしたが、決して他国に引けを取らない水準の高い作品が多く、たいへん面白い展示でした。ごく一部を紹介します。
↑こちらの四点はアセアン諸国の女性作家の作品。テーマは様々でしたが、タイ南部のイスラム系少数民族出身の作家の作品が多かったようで、マレーシアの人々の関心がどのあたりにあるかを伺うことができる展示でした。
そして以下が、2019年度のBMS(同時代若手作家展)の出店作品の一部。お客さんは若い人が非常に多く、女の子たちが作品の前で記念撮影をしている様子は日本では見ることができないもので新鮮でした。なんで日本人はあんなにかしこまった顔で芸術鑑賞をしてるんだろう。
↓Nur Amira Hanafi "Another us" 。
人の身体から取った微生物を、その人のプロフィールと共に展示する作品。微生物は会期中にも増殖し続けます。それを一種のダンスととらえ、小さなスピーカーでそれぞれのシャーレに音楽が流されていました。
↓Ho Mei Kei "Pengenalan Diri"
子供たちを中心に多くの人たちに自画像と自己紹介を書いてもらうというプロジェクト。多くの人が自分のイメージをすぐに絵にすることができず、スマホで自撮りをしてから描き始めたということです。2枚目は作家ご本人の自画像。何気なく混ざってました。
↓Joy Ng Mei Lok "Seed"
少女時代の孤独やトラウマを表現したという作品。服はマレーシアの小学校の制服だそうですが、糊やチョークで汚れています。足元にもチョークのかけらが。見ているだけで痛くなるような展示でした。
↓こちらは若手作家展とは別の展示ですが、茶化してるんだか本気なんだか分からない絵でした。
②マレーシア・イスラム美術館
イスラム諸国の美術や工芸の優品を集めた国立の美術館。ここに行くのは今回クアラルンプルで泊まった目的の一つでした。
外見は割と地味な建物なのですが、中に入るとこんな空間が。
展示は建築模型、陶器、金属工芸、写本などいろいろ。たいへん見ごたえがありました。
今回二つの大規模な美術館を訪ねましたが、いずれも日本ではなかなか見る機会のない展示で、施設も良く、マレーシアも芸術文化に非常に力を入れている国の一つであることがよく分りました。
マレーシア旅行②マラッカの寺院と教会
マラッカ王国、ポルトガル、オランダ、イギリス、数年間の日本による占領、そしてマレーシア独立と複雑な歴史を経てきたマラッカには、それを反映して様々な宗教の寺院や教会が共存しており、それが街の魅力にもなっているので、いくつかご紹介します。
①セント・ポール教会
16世紀にポルトガルによって建立されたカトリック教会ですが、プロテスタントのオランダによって統治された時代に廃墟になり今日に至っています。
フランシスコ・ザビエル像。ザビエルは一時期この教会を布教の拠点にしていました。
地元のイスラム教徒の観光客も大勢来ています。
教会の中には多くの墓碑が立てられています。ちょっと不思議なことに墓碑銘の多くはオランダ語で、プロテスタントの墓だと思われます。
↑こちらはラテン語で、もちろん読めないのですが、SOCIETAS IESUとかIAPONENSISとか書いてあるのでイエズス会関係で日本にゆかりのある人のようです。キリシタン史に詳しい方、どなたか何かご存じないでしょうか。
②ザビエル教会
オランダ時代になってカトリックは弾圧されていたのですが、19世紀のイギリス時代になると宗教も自由になり、あらたなカトリック教会が建てられました。
ちょうど日曜のミサをやってました。信者さんはインド系の方が多いようでした。
教会の敷地にあったザビエル像と、日本人初のキリスト教徒、ヤジローの像。二人はマラッカで出会い、ヤジローの人となりに感銘を受けてザビエルは日本布教を決意したそうです。
③その他の教会
マラッカ・キリスト教会。オランダ時代の18世紀に建ったプロテスタント教会で、街のシンボル的な建物なのですが、この時は見学できず、周りのオランダ広場がすごい人出だったので退散しました。
タミル・メソジスト教会。インド系の人たちのためのプロテスタント教会のようです。
④カンプン・フル・モスク
18世紀にたてられたモスクです。東南アジア独特の東洋的な方形屋根のモスクで、灯台のようなミナレットが面白いです。屋根の頂点にある造形物はタマネギ型のドームや新月などではなく、どちらかというとバリ島のヒンドゥー教寺院を思わせるものです。
入口は楼門になっており、上層には丸太をくり抜いた木魚のようなドラムが置かれています。礼拝の時を告げるために用いられていたようですが、バリ島の村にも同様なものがあり興味深いです。
⑤カンプン・クリン・モスク
こちらも同様に東洋的な様式の18世紀のモスクです。
やはり、屋根の上にあるのは東洋的な宝冠のようなもので、バリ島のヒンドゥー寺院の物に似ています。
こちらのミナレットはどちらかというと中国の仏塔を思わせます。
内部はやや西洋風で、柱頭もギリシャ的。不思議な空間ですが、モスクの内部というのはなんとなく清々しいものです。
⑥スリ・ポヤタ・ヴィナヤガ・ムールティ寺院
こんな名前を覚えられるわけがないわけですが。
18世紀に建立された南インド系のヒンドゥ教寺院です。ちょうど儀式の時間に訪れたので、僧侶が金剛鈴のようなものを大音響で鳴らしながら、いくつもの神像に供物をささげる様子を見学させていただいたのですが、非常に厳粛な雰囲気だったので写真は遠慮して、見よう見まねで合掌していました。上には牛さんが載ってます。
⑦青雲亭(チャンフーテン)寺院
ごらんの通り、中国系の人たちが建てた寺院です。仏教寺院ということなのですが、祀られているのは道教の神様が多いように見えました。17世紀の建立ということですが、修復されて非常に状態が良いです。
上記の⑤⑥⑦の三つの寺院は、同じトゥカン・ウマス通りに数十メートル間隔で並んでいます。全く異質な宗教の寺院が17世紀以来ずっと共存してきたという、多様性と共存のお手本のような場所です。
⑧いろいろ
↑マレー人地区カンプン・モルテンにあるイスラム教の礼拝所。モスクではなくスラウということです。スラウの方がより簡易なもののようですが、その違いはよく分りません。
↑こういう小さな中国寺院はいたるところにあり、中国系の人たちの信仰を集めているようでした
↑これも興味深い例で、イスラム教徒の英雄の廟と中国寺院が並んで建っていました。
長くなってしまいましたが、このように多種多様な宗教施設にはマラッカの重層的な歴史と多様な文化が鮮やかに表れていて、大変興味深いものでした。
マレーシア旅行①マラッカの街並み
マラッカは、古のマラッカ王国の都であり、その後ポルトガル、オランダ、イギリスに支配されて外来文化の窓口ともなった、日本で言えば京都と長崎を足したような街です。世界遺産に登録された旧市街には、至る所に歴史的な街並みが残っています。街並みの基調になっているのは、日本で言う町家にあたるショップハウスで、中国南部から伝わった様式に西洋や地元の要素が加わった建築ですが、鰻の寝床状の奥行きの長い敷地や、通風のための中庭など、京町家との共通点も見られます。
↑カンプン・フル通りのアール・デコ風のショップハウス
↑(3枚)ハン・カストゥリ通り
↑ハン・カストゥリ通りからカンプン・パンタイ通りの街並みをのぞむ
↑昔ながらの商家が多いカンプン・パンタイ通り。ここがいちばん好き。
↑(2枚)最も観光化が進んだハン・ジュバット通り(旧称ジョンカーストリート)は、週末には夜市でにぎわう。にぎわいすぎているので退散しました。
↑(2枚)重厚な古いショップハウスが多いトゥン・タン・チェン・ロック通り(旧称ヒーレンストリート)。隣のジョンカーストリートの賑わいが嘘のように静かで、渋い骨董屋があったりする。
↑(2枚)ブンガ・ラヤ通り。地元密着の商店が多い。
↑すべての建物が赤く塗られたラクサマナ通り
↑トゥカン・ウマス通りは旧称テンプルストリートの名の通り、数百メートルのあいだにヒンドゥー教寺院、モスク、中国寺院が連なっている。
↑名前の分からない裏道
↑一昔前の日本みたいなムンシ・アブドゥッラー通り。この辺まで来ると観光客は全くいない。
↑マレー人が集まって住むカンプン・モルテン。郊外にあって農村の趣。真ん中はイスラム教の礼拝所。
↑マラッカ川沿いの街並みはちょっと鴨川を思わせる。
観光化が行き過ぎてるんじゃないかと思う個所もあり、ひょっとして来るのが十年遅すぎたかとも思いましたが、観光客の9割は一本の通りだけに集まるという経験則はどこの国でも同じのようです。旧市街の大半は昔ながらの素晴らしい町並みで、華人、マレー、インドの三つの文化が混じりあったマレーシア独特の異国情緒を残しています。街並みのクオリティと規模の割に日本であまり知られていないのが不思議なくらいです。