異国まちなみ散歩・その1

長崎はイエズス会の影響下で貿易港として建設された都市で、以来、その栄光も悲惨も全て異国との関わりの中にありました。今でも市内のあちこちに、国際交流の跡をとどめた町並みが残っています。二日目はそんな街並みを歩きました。歴史の流れは前後しますが、僕が訪ねた順にちょっとご紹介。
 
 
1東山手
 幕末から明治にかけて設けられた外国人居留地の一部です。長い鎖国が終わり、開港五港のひとつとして長崎が開かれたとき、この一帯が外国人のための街になりました。いまでも古い洋館が残り、キリスト教系の学校や病院が集まっています。


↑有名なオランダ坂

↑別な坂ですが、こちらもオランダ坂といいます。

↑旧イギリス領事館の裏側。なんとなくマレーシアを思わせる。
 
 
長崎新地中華街
 江戸時代には中国からの輸入品を保管するための倉庫街でしたが、明治になると華僑の人たちが移ってきて中華街になりました。チャンポンを食べたいならここですよ。チャンポンも明治時代に華僑の料理人が考案した料理だとか。長崎ではすっかり生活に定着した料理らしく、市内のスーパーを覗いてみるとチャンポン麺やチャンポンスープやチャンポンの具がいっぱい。


 
 
3館内町(唐人屋敷跡)
 新地が中華街になる前、つまり江戸時代、清国から来た貿易商や船員はこの地区で暮らしました。唐人屋敷と呼ばれ、鎖国ですから外との行き来は制限されていましたが、多くの中国文化がここから長崎市民に広まったそうです。明治以後は日本人の街になっているのですが、中国式の四つのお堂が残り、それが昭和的下町情緒と不思議にマッチして、台湾かどこかにいるような感じ。

↑左側にあるのが土神堂。


↑天后堂。

↑観音堂。なぜか猫が案内してくれました。

↑福建会館。
 ここはあまり観光に来ている人もいませんでした。不思議な街でした。


…「その2」につづく。