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世界が終わった後のほうがたいへん。だって今日の晩御飯はどうしましょう。

 世界が終わった後の世界。社会の秩序もなく、未来の保証もなく、「人が人に対して狼」である、むき出しの欲望や暴力性。

最後の物たちの国で (白水Uブックス―海外小説の誘惑)

最後の物たちの国で (白水Uブックス―海外小説の誘惑)

 あらゆるものが減ってゆく、無くなってゆく、文明も社会も崩壊してゆく国で、アンナという女の子が兄を探して旅をする。犯罪や欠乏といった悲惨に満ちた世界だが、そこには様々な人々との出会いもあり、愛もあるのです。
 図書館の奥でひっそりと暮らすユダヤの人たちが印象的。オースター自身もユダヤ系ですが、ユダヤ系の人たちには、世界の根っこの方が崩れて底がぬけてゆくような感覚への敏感さがあるような気がします。

驚愕の曠野 (河出文庫)

驚愕の曠野 (河出文庫)

 生まれ変わり、死に変わりを繰り返しながら、さらに暴力的な、さらに残酷な世界へと、殺し合いながら下降してゆく男たち。誰もが旅をつづけ、信頼できる仲間も、安らげる場所も無い。そんな世界は、お姉さんが子どもたちに読み聞かせている本の中だったのだけど……。
 めくるめく輪廻と、メタ小説としての仕掛けに幻惑されながら、しかし、そこには世界の実相を垣間見ることの、ひりひりと塩辛い痛みがあります。

アシュラ (上) (幻冬舎文庫 (し-20-2))

アシュラ (上) (幻冬舎文庫 (し-20-2))

 年少の畏友M嬢に薦めてもらって初めて知りました。中世の日本、人が人を食う飢餓の時代を舞台にしたマンガ。(比喩でなく本当に、文字通り、人が人の肉を食べて生命をつないでいるのです)
 赤ん坊のときに母親に食われそうになった主人公は、人を殺しては食い、親を、生命を、人間を、世界を呪いながら生きているのですが、念仏行者や、強制労働させられている子どもたちと触れることで、少しずつ人間らしくなってゆく――などと言うと、良い話みたいですが。
 ただ食うために人を殺していた主人公が、やがて、悲しみと怒りのために見知らぬ一家を皆殺しにするようになる。食人鬼が、殺人犯になることに、読み手の僕たちは、主人公の「人間らしさ」の現われを読み取ってしまう。そんな痛みに満ちた物語です。
 しかしまあ、1970年代にはこんなものが少年誌に載ったんですねえ。

 
 人が人を殺さなければ生きられない。果てない苦しみの海に似た世界は、突き詰めれば私たちの生きるこの世界と同じものです。歴史の始まり以来、世界は常にそのようなものでした。邪悪な世界にあって、邪悪なものとして生きなければならない悲しみ。小さな、ささやかな、はかない、人間性のともし火。このような物語は、宗教的なものとならずにはいられません。底に流れるのは、親鸞の「悪人正機」にも似た思想です。ありがたやありがたや。南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏