大人になれば


 記憶が曖昧なのだが、僕がFGをちゃんと聴き始めたのは解散後だったはずだ。
 ソロになった小沢健二のアルバム「life」を手にしたのは震災後だった気がするから、95年のことだったのだろう。数少なかった友人のうちの二人(一人は後に亡くなった。理由はまだ聞いていない)がこのCDを持っていたのを覚えている。
 骨の髄までポストモダンな小沢くんが、素直な気持ちをどうにか形にしたくて作った音楽。でも彼の手に触れるものはなんでもポストモダンの魔法で屈折してしまう。そしてそれに気づかない無邪気な女の子たちが「オザケンカワイーオシャレー」的にキャーキャー集まってくる。
 あふれる才能がありながら、98年1月を最後に何年も沈黙してしまうに至ったのは、何を作っても自分の音楽じゃない気がしたからかもしれない。
 危機だった。瓦解する金融市場、僕の通う大学を直下から襲った阪神大震災、首都の毒ガス事件、仮設校舎での講義、僕の個人的なブレイクダウン。一番苦しい時期の始まりだった。
 その後の数年間、小沢くんにはどれだけ救われたか分からない。迷走の末に生まれた最末期の名曲「ある光」のPVがファミレスの大画面で流れるのを見て、心を深く打たれたのを覚えている。
 ちゃんと届いていたのだ。

晴れた朝陽に やわらいだ森
力まかせに衝きつける狩りのような風

見せてくれ ビルの先まで届く木に
見せてくれ 心の中にある光

この線路を降りたら すべての時間が魔法みたいに見えるか?
今そんなことばかり考えてる なぐさめてしまわずに
小沢健二「ある光」)

ある光

ある光