書店にて


 大好きな作家の新刊がひっそりと棚のすみっこに出ていたから、レジにもっていった。
 エプロンのポケットにボールペンをずらりとさした、白髪混じりのおじさんの店員さんが、バーコードをぴっぴっとしながら、口をゆがめて眉をしかめた。
「1890円になりますが、ね」と店員さんは言った。
 わたし二千円札を差し出すと、店員さんは本をごとんと乱暴にカウンターに置いて、お金を受け取ろうとしない。
「カバーはご入用ですかね。ま、そもそも、こんな本をお買い上げになること自体、おすすめしませんが、ね」
「カバーはけっこうですけど……」
 わたしはびっくりしていて、次の言葉が出なかった。
「カバーをかける値打ちも無い本ですが、ね」
 と店員さんは言って、汚いものをさわるみたいに、本を指の背でわたしの方へ押しやった。
「お嬢さん、この本の――この、本と称するものの著者が、どれだけ売国的な人間か、ご存知でお買い上げなんですか、ね」
売国的?」
「この作家――作家と称する下司野郎は、祖国日本に唾する、誠に忌むべき人物なんですが、ね。ご存知ではない、と?」
「……はあ、よく分かりません……」
 わたしは本と入れ違いに、二千円札を店員さんの方に押しやった。
「じゃ、110円のお返しになりますが、ね」
 店員さんはわたしの手のひらに硬貨をちゃりんと置いて、そのままわたしの手をぐっと握った。
「あなたのような、お若い方が、こんな人間の駄文に毒されないように、願っておりますが、ね。老婆心ながら」
「……」
「ま、とにかく、毎度ありがとうございました、と言わざるを得ませんが、ね」
 本屋を出るとすぐに、わたしはトイレで手を洗った。
 ごしごし洗った。だって煙草のひどいにおいがしたから。
 バカみたい。
 入荷しなきゃいいじゃん、ね?

 ※「わたし日記」はフィクションです。僕はわたしではありません。