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図書館で二冊

プラハ カフカの街

プラハ カフカの街

 チェコの首都プラハは、行ったことがありませんが、心惹かれる街です。
 そして、プラハに生まれ育ってプラハで生きたフランツ・カフカが、チェコ語母語とするチェコ人ではなく、ドイツ語を母語とするユダヤ人であったという事実が、僕は以前からなんとなく気になっていました。
 
 複雑な時代です。当時のチェコは、ドイツ語を公用語とするオーストリアハンガリー帝国の一部でした。その帝国の中で、自治を、さらには独立を求めていたチェコ人たちの国の中にあって、ドイツ語を話し、ドイツ語で小説を書くというのは、どんな体験だったのだろう。
 チェコ人の著者によるこの本、薄い本ですが、二つの言語を話す二つのプラハという背景の中で、カフカの人生のアウトラインをスケッチしています。20世紀半ばのプラハを撮った写真も美しい、好著です。
 
 カフカという作家、チェコの人々にとっては、今でもよそよそしい存在のようです。最近までチェコ語版の全集も無かったそうな。
 
 第二次世界大戦を経た現在のプラハには、ドイツ語を母語とする人は、ほとんどいないはずです。

ドン・キホーテの末裔

ドン・キホーテの末裔

 ドン・キホーテ――二人の小説家の、狂気を孕んだ対立――迷走し、脱線し、中断する物語――パロディ論――小説論――そして、メタ・フィクション――。
 
 いくらでも深めることのできそうな面白い要素が目白押しで、「清水ハカセ、今度こそやってくれたのか……?」と、かすかな期待を抱いて読んだのですが……うーん。
 
 清水義範氏の作品は、もっと軽い笑いを意図したときにはとても面白いんですが、ブンガクとか実験みたいなものに一歩近づこうとしたとたん、どっちつかずの不徹底なものになってしまうきらいがあるように思います。
 
 思うに、エッセイなどからもうかがえる清水氏の良識とか、常識とか、分別といったものが、深みへのダイブを阻み、作品を不徹底な形での完成へと導いてしまっているのではないでしょうか。
 真面目で、几帳面で、篤実なお人柄なのだろうなあ……。でも、その誠実さは、小説家としての誠実さとはいささか別なところにあるのではないかという気がします。
 
 読者を楽しませよう、というエンターテインメント精神が、ややもすれば、読者を子ども扱い、無知な素人扱いすることになりかねないような。
 
 ハカセ、小説は、読者の目線に降りてきてくれなくてもいいんです。自分を高めてくれるような物を求める読者のために、その才気を生かしていただければうれしいのですが――
 
――もしほんとうに、ハカセが「文学の森」へ入って行かれるおつもりなら。