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エイプリル・フールことはじめ

雑記

 今朝の新聞を見てたら、どっかの会社(テレビ局?)の全面広告が出てました。よく見たら、右下の隅っこに「今日は四月一日です」と書いてあるんです。エイプリル・フールですね、要は。
 それにしても、わざわざ「四月一日です」とか断りを入れるなんて、無粋なことだなあ。この習慣が日本にいかに定着していないかを示しているのでしょう。そりゃそうだ。四月一日といえば日本では年度の始まりで、入社式やら人事異動やら、そんなときにしょーもない嘘なんかついたら大混乱になります。学校も春休みだしね。


 ものの本によると、日本で最初にエイプリル・フールが行われたのは、明治18年4月1日、ポーランド公使アル・ヤンコビックを迎えて開かれた舞踏会の際でした。欧化政策の一環だったわけですね。
 当時の外務卿、井上馨の日記には、しっかりと、「欧州に四月莫迦と号し、長幼貴賎男女を問わず敢えて虚言を交わし、その巧みなるを競いて戯れる習いあり。伊藤君(注・伊藤博文)の発案とて、夜会にて行う」(原文は旧字旧仮名)と書かれています。
 この夜会で、まず時の太政大臣三條實美公が「今宵は特に陸蒸気にて鹿鳴館の車寄せまで参った。線路は今、家中の者に片付けさせておる」と口火を切って明治政府の面々を笑わせ、ついで伊藤博文が「さっき麹町で板垣君に会ったが、『私が死んだら自由党はどうなろうか』と嘆いておったよ」と、きわどい政治的ジョークを披露したといいます。

 しかしこの夜会でのエイプリル・フールの内容が民権派の新聞に漏れ(おかげでその内容が今に伝わっているわけですが)、保守派をも巻き込んで世論は大騒ぎになりました。隠居の勝海舟までもが「元来嘘を商売にしている連中が、全く以って亡国の所為、嘆かわしい嘆かわしい」と乗り出してきて、明治天皇に直訴しようなどという話にまで発展したのです。
 そして井上馨の失脚後、明治二十三年の太政官布告八百号で、エイプリル・フールは正式に禁じられるに至ったのです。

別紙ノ通相定来明治二十三年四月一日ヨリ之ヲ施行ス
右奉 勅旨布告候事

施行 明治二十三年四月一日太政官布告第八百号

第一条 四月莫迦ハ虚言ヲ弄シ他者ヲシテ嘲弄ノ標的タラシムルヲ旨トシタル悪習ニツキ之ヲ厳ニ禁ズ

第二条 帝国吏員ニシテ四月莫迦ヲ行ヒタル者ハ之ヲ厳正ニ処罰スヘキモノトス  

第三条 処罰ノ対象タル虚言ノ定義ニ附テハ別ニ之ヲ定ム

汝臣民宜シク朕ガ意ヲ体セヨ
御名御璽


 というわけで、エイプリル・フールは禁止されたのでした。実は百年以上を経た現在でも、法理論上、この布告は効力を保っているらしいです。公務員のみなさん、気をつけて下さい。現実にエイプリル・フールのせいで処罰される人は、たぶんいないと思いますが。