翻訳畑で捕まえて

 それにしても、野崎孝さんという方は、アメリカ文学の日本への紹介・翻訳ではそれこそ「偉大な」功労者ですね。こういう方とハルキ氏とが、翻訳を通して接点を持っているというのは、興味深いことです。翻訳の比較研究なんかにも役立つかもしれない。
 ハルキ氏はエッセイなどでも、先達としての野崎氏への敬意を何度か表明してますが、面白いことに、野崎氏から村上氏への言及もあったのでした。

フィツジェラルド短編集 (新潮文庫)

フィツジェラルド短編集 (新潮文庫)

 ↑この本のあとがきのなかで、野崎氏は、「これまでにこれらの作品を翻訳・発表された訳者たち、なかんずく村上春樹氏にお礼の言葉を記さねばならない」「氏が使われた訳語以上に適切な言葉が思いつかぬままに、それらをそのまま利用させて頂いた個所も二、三にとどまらない」などと、謝意を述べていらっしゃいます。英文学者であり一流の翻訳家だった野崎氏が、三十歳も年下の小説家村上氏に対して丁寧に挨拶をおくっているこの文章から、野崎氏の人柄がしのばれるように、ぼくはなんとなく思うのです。同じ作品を愛するもの同士のエール交換のようでもありますね。
 ついでに申しますと、集英社文庫の野崎訳「偉大なギャツビー」には、「解説」とは別に柳美里氏による「鑑賞」というエッセイみたいなものが載っています。村上氏が映画「華麗なるギャツビー」を高く評価したことについて、柳さんはその中で「信じ難いことだ」「シナリオも映画も凡庸」なんて書いていて、これもなかなか面白いですね。